North, South, East and West ーあたまの中を旅しよう。

  1. SEASIDE

ブラジル⑦サン・パウロの一日

おじさんの家へ

お土産探しをしながら、おじさんの家方面に向かうことに。

地下鉄のシートは、淡い色のがいわゆるシルバーシート。激混みの車内でも、髪の白い人を見ると皆すぐに譲ってくれる。

電車の中でも飛行機の中でも、あらゆる肌の色の人が、上下なく話してるの。何かポケットからこぼれると、”落ちてるわよ”とすぐに誰かが声をかけてくれる。

「見栄張って高級品を見せびらかしてると強盗に狙われるんだよ。ブラジルは暮らしやすいし、ブラジル人は皆親切だよ。
でも、どれだけ気を付けても遭う時には遭うから、この歳になってから夜の外出は控えてるし、何かと用心はするけどね」

漠然と怖いと思っていたけど、長く暮らしたおじさんのことばには納得するものがある。

イピランガ Ipirangaで下車。

この地区はいくつかのショップが並んでて、おばさんおすすめの店で次々試着!

着せ替え人形みたい(笑)

ブラジルは太っちょさんも多いので、服は伸縮性がよくそこそこ厚みがあり、下着のラインもひびきにくい。つくりも最近よくなって、シルエットのきれいなお洋服が安く手に入るの。

パンツ1本+ドレス2着でディスカウントして、160レアル!(=6400円位)

でも思ったより買い物しちゃったから、ブーツに隠しておいた小分け現金をお財布に戻す……
違う目的で入れてたんだけどな~!



そして馴染みのBrazil Restauranteへ。

ツアー中、観光地で食べたお肉やお魚はイマイチだったけど、ここのはすごく美味しい! どこでも皮の硬かったナスも、ジューシーで思わずにやけちゃう。

ふ~ごちそうさま~。


そのままおばさんと一緒にお土産あさり。買い物嫌いなおじさんは、おばさんにそれまでの荷物持たされて、先に帰ってて~だって!

ドラッグストアでは可愛い六角形のグアバジャム
フルーツティーやプロポリス
石鹸PHEBO”アマゾナス”はブラジルっぽい香り
グラナードやNatura(下の2個)もオススメ

お土産類ははじめ、パウリスタ大通りのショッピングセンターを考えていたんだけど、同じようなものが倍以上の値段なんだそう。

二人が通う、スポーツクラブにも寄り道。
おじさんは水泳毎日1㎞、おばさんは週3くらいのペースで体を動かし、薬なしで健康管理をしてるんだそう。おじさんはテニスもまだ現役!

アンチエイジングにいいコーヒー飲んで、これだけ運動していたら、まだまだ元気で行けるね。


そしてついにお宅訪問!

写真は載せられないけど、150平米、トイレ・バス4つ付!
新古物件を安く手に入れいろいろ施したそうだけど、普通はこの倍の、300平米あるんだって!
Ipirangaはサン・パウロの高台なので、景色もきれいだねぇ。

リタイアした今は、月に2回ほど週末のバス旅行を楽しんでいるんだそう。公共交通機関は、学生と高齢者はフリーパス。病院は無料だけど待ち期間が長いので、かからずに済むよう健康管理に気を付けていると。

いとこのお兄ちゃんは、しばしば日本からの出張でここに泊まるんだって。コーヒー会社で重職につき、忙しくしているお兄ちゃん。元気かなぁ。

荷物を持って一足先に帰っていたおじさんは、
やっぱり十八番のポン・デ・ケイジョPão de queijoを作って待っててくれた!


なぜかブラジルのチーズでないと、美味しく作れないらしい。ほんのりチーズの香り、さくっとして中はもちもち!
食べきれない分はおみやにしてもらいます。

うちからのおみやは……

☑ 真空断熱タンブラー
(ブラジル人は冷たいビールが好き)
 日本のご当地ラーメン数種
(叔父さん、ラーメン大好きだそうでにやけてる)
 とらやの羊羹
☑ いりこだし

懐かしい味を満喫してね!!

ブラジル移民のルーツ

日本人移民史料館

一息ついてから、リベルダージ Liberdadeにある、
日本人移民史料館 Museu Histórico da Imigração Japonesa no Brasil へ。

おじさんは、史料館を作った三菱系列の山本氏のご縁でブラジルに来ることになり、当時日本人街(今の東洋人街)に部屋借りて住んでいたんだって!

へえぇ~。

史料館に残る写真に知ってる顔がいくつもあって、二人とも懐かしい記憶がいろいろと蘇ったよう。


笠戸丸での移民がはじまった1908年当時は、奴隷制が制限を受け人手不足となったのと同時に、サンパウロを中心に、輸出のためのコーヒー栽培が盛んになってきていた。

当時のブラジルの人口1500万人に対し、移民は360万人(主にサンパウロに定着)。

はじめは優生思想から白人の移民を優先していたものの、ヨーロッパ経済が変化すると白人の移民の数が減り、それまであまり歓迎されていなかった黄色人種の日本人移民も、労働力として需要が高まってきた。

おばさんは、そんな初期移民の日系2世だ。

お金を貯めて帰るつもりで家族で移民しても、現実は奴隷代わり。主にコーヒー農園での厳しい労働が待っていた。懐かしいレコードや日本文化の物品は、そんな日々の中で、彼らの支えとなっていたに違いない。


過酷なコーヒー農園から逃げ出し、自作農として異国の地で生きるため尽力した農業や他の産業において、結果的に日本人は多くの功績を残すことになった。

その後も、移民は排斥と受容を繰り返されながら現在に至り、今では日本人は、ブラジル社会で尊敬の念を持って迎えられているそうだ。

長い帰り道


歩き疲れて、史料館近くのカフェでひと休み。

ここでトウモロコシのケーキを追加してくれただけでなく、街角の巨大なパモーニャpamonha(もろこしちまき)も「空港で食べなさい!」と……

あれもこれも買い与えてくれるおばさんです(笑)


日本人街のスーパーで食材も買い荷物が増え、時間的にはだいぶゆとりを残してチエテのホテルに戻ることに。

あっちこっち十分歩いたもんねぇ。



……と思ったらここからが本番だった。

ラッシュアワーの地下鉄、半端なかった!!

2-3分おきに来るけど、いっぱいで1回に1-3人くらいしか乗れないの! 5-6台見送ってようやくなんとか三人一緒に乗車。乗客同士で情報交換すると、ラッシュに重なりどこかの駅で人が落ちたそうで、もう大混乱。

おばさんの骨が折れないか心配なくらい。途中、おばさんは席を譲ってもらえたけど、
「こんな混雑は初めて」とか……。
とはいえ、渋滞のひどいサン・パウロでは、タクシーではさらに時間かかりそう……。

一日が過ぎて

へとへとになりながらIbisに到着し、ひと段落。おじさんたちがコーヒーで一服しているうちに着替え、空港に向けて再出発!
もうココまで来たらバスターミナルまで行くよ、と二人は駅までついてきてくれた。

その時、おじさんが持っててくれたおみやの詰まったバックパックを受け取りびっくり!! こんなに重いの背負って、史料館見て大混雑の地下鉄乗ってたの!?

大丈夫大丈夫っていうから任せちゃってたけど……あとで量ったら5㎏もあった。ホント申し訳ない!

さっきの地下鉄で疲れ切ってるはずなのに、駅構内ではおばさんがインフォメーションや窓口を周り、どんどん情報集めてくれる。英語しか使えないあたしは、ココでも出番なし。

そして最後にエアポートバス乗り場にいた若い女のコに、この子をターミナル3までよろしくね!!と頼み込む念のいれよう。
 

おじさんは若かりし頃、日本の芸能プロの選考に通ったほどの美男。80超えた今も背筋まっすぐ、カッコよかった!

おばさんは小さい頃の記憶でも美人だったけど、今でもやっぱり、おじさんとお似合いの素敵なカップルだった。長年連れ添って生きてきた夫婦ならではの、信頼に結ばれたあ・うんの呼吸だったなぁ。

またおいで。今度はうちに泊まりなさい

うん、まだまだ元気でいてね!
また来るからね!!

最後にエアポートバス乗り場で

泣きながら別れたターミナルで、あたしはバスが来るまで一日を思い返していた。

朝早くからラッシュの地下鉄でホテルまで来てくれて、なんだかんだで丸一日、夜遅くまで一緒に歩いてくれた二人。
すごく疲れただろうになぁ……結局朝から晩までずっと、小さい頃と変わらず、あれやこれやと可愛がってくれた。

おばさんが私をよろしくと頼み込んだ、眼鏡の若い女のコに話しかけた。その子は妹が学校を卒業し、そのパーティーに飛行機で向かうんだそうだ。
なかなか話したいことが英語で出ずに、一生懸命考えどぎまぎしてる様子に、海外旅行を始めたばかりの昔のあたしを懐かしく想い出した。

少し遅れてエアポート行きのバスがやって来た。到着の日のバスを運転していた、恰幅のいいドライバーさんだった。

さようなら、サン・パウロ。
おじさんとおばさんが、毎日元気で、満ち足りた日々を過ごせますように。

そしてまた、逢えますように。

Obligada, Tchau Tchau!!
ありがとう、またね!

→このあと番外編に続く


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