スペイン唯一の産業革命で発展を見せたカタルーニャでは、国境の接するフランスからの文化が流入するだけでなく、建築の需要が増え、その中で優秀な建築家が生まれ、彼らがイスラム建築を取り入れながら、モデルニスモ(別名カタルーニャ版アール・ヌーボー)独自の形式を作り上げていった。
勢いのあるカタルーニャで、ガウディは社交界に頻繁に顔を出し、着々と仕事を得るようになる。
ユートピア的分譲住宅を夢見たグエル伯とガウディは、丘の上に現在のグエル公園を造るが、計画された60棟のうち、当時はその2人の買った2棟しか売れなかったという。
ガウディは当初、無神論者だった。
サグラダ建設に関わるようになり、信仰への迷いに答えを見出すべく壮絶な断食を強行し、死を垣間見る中で確信し、敬虔なキリスト教徒として生まれ変わったのである。
恋愛での不遇もあった。生涯独身だったガウディは、わき目もふらずにすべてを捧げられるものを切望していたのかもしれない。
神とサグラダ建設にすべてを捧げた後年、市電に轢かれて命を落とすまで、ガウディはこよなく愛したグエル公園の自宅で暮らしていた。服装はみすぼらしく、病院に運ばれても初めは誰もガウディだと気付かなかった。
生前彼自身が望んでいたように、葬儀はひそやかに行われるはずだった。しかしその死を悲しむ市民がこれを聞きつけ、どこからともなく集まって長い葬列を作り、ガウディの死を悼んだという。
「最高のものを造ろうじゃないか」
それが、彼が弟子と交わした最後の言葉になった。
40年以上にわたり関わり続けたサグラダの、自身が生きているうちに完成に至った地下聖堂に、彼は今眠っている。
かつていつできるかもわからなかった贖罪教会は、観光収入の増加とコンピュータサポートにより、コンクリートをデジタルで切り出しながら急ピッチで建設が進み、今やガウディ没後100年、2026年の完成を目指しているという。
けれど、サグラダ・ファミリアはゆっくりでいい、作り続けることに意味があるんじゃないだろうか。
ガウディという一人の稀代の建築家のビジョンが人の手で継代され、成長し、形を成していく。ガウディの創造力に限界がなかったように、ガウディの手を離れても、ずっと成長しつづける造形であり続けて欲しいと願ってやまない。
参考文献:Gaudi. Exploring form
(東京都現代美術館)
バルセロナのガウディ建築案内
(丹下敏明・平凡社)
pepita 井上雅彦 meets Gaudi(日経BP)