North, South, East and West ーあたまの中を旅しよう。

  1. SEASIDE

3度目のスペイン⑦モンセラット黒いマリア様のもとへ

Fri, 15 Sep 2023
1 早朝から乗り継ぎ列車旅
2 カタルーニャの聖地モンセラットへ
  2.1 黒いマリア様にお礼参り
  2.2 のこぎり山で想定外ハイク
  2.3 大聖堂に広がるヴィロライ
3 大雨のラスト
  3.1 案外美味しい空港レストラン

早朝から乗り継ぎ列車旅

早朝。ベッドの上で、昨日買ったベーグルボックスとヨーグルト、ジュースとカフェラテで身体を目覚めさせていく。ふだん食べないベーグルサンドが、予想以上に美味しくってビックリ😲✨

食べず嫌いだったかも? ベーグル美味しい!


風邪っぴきは相変わらず、でも行かないなんて選択肢はない! とはいえ、今日は夕方から雷雨の予報。行先も標高が高い分、あったかめの服装で準備完了。水も飴もたっぷり持ったよ!!

カタルーニャの聖地モンセラットへ

地下鉄に乗ってやってきたのはエスパーニャ駅。ココにいくつもの路線を集めるFGCカタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya)は、バルセロナへの通勤電車的なものらしい。

FGCを使えば、郊外にあるガウディ未完の傑作コロニア・グエルも行けるし、今日みたいにR5を使ってサグラダ・ファミリアのかたちの元になったモンセラットにも行けるの!

エスパーニャ駅に発着するFGCの列車


だいたいなんでこんな朝早くに出発するかって、マリア様に会って、ハイキングもしたいし、マトーチーズも食べたいし、合唱も聴きたい!ってやりたいこと盛りだくさんだから・・・

風邪引いてたって、やりきったらあとは✈FLIGHTで帰るだけだもん!!

既存ツアーでは、フライトに間に合わなそうなんだよね~、かといってプライベート🚙チャーターは高くつくしね~~。費用換算で約10倍(-_-;)

改札手前には、蛍光ベストを着けたサポーターのおじさんが。観光客のセット券(列車+登山電車の往復分)の購入を手伝ってくれるの! カード支払いが楽だよ。

FGCのR5線 Espanya 7:36発
Aeri de Montserrat駅では降りず次駅まで)
Monistrol de Montserrat 8:41着
同駅で登山電車に乗換 8:48発
Monserrat 9:08着


モンセラットはサグラダの構想の元になったといわれる、バルセロナ郊外にある標高1236mの山。出発から約1時間、ついに ”のこぎり山” が車窓に現れた✨


もともとは、4000~3400万年前に川が海に流れ込んで出来た扇状地。砂利や泥が流れ込んで堆積し、それが地殻変動と長年の浸食により、石灰岩を大量に含む強固な堆積岩の山のみが残り、”のこぎり山” と呼ばれる独特の形状になった。


登山列車に乗り換えてから、どんどん標高が上がっていく!


ついにモンセラット駅に到着!
眼下には雲海に覆われたカタルーニャの大地が広がっている。


この標高720 m地点にあるのは、ベネディクト会のモンセラット修道院サンタマリア教会堂 Santa Maria de Montserrat Abbey

スペイン内戦(1936-1939年)に始まるフランコ将軍の独裁政権下でも、家以外で話すことを禁止されたカタルーニャ語を断固としてミサで使い続けてた唯一の教会でもあり、今でもモンセラットは地元の人々の心のよりどころとして親しまれている。

カタルーニャ独立運動とモンセラット
19世紀後半、スペインで唯一といっていい産業革命の恩恵を受けたバルセロナ。当時カタルーニャ州では保守党が大多数で、共和主義・社会主義・アナーキストなどの連合である同業者組合と対立していた。

保護領で起きたスペイン-モロッコ戦争の徴兵が進み、数々の都市で反戦の動きから大規模デモが行われる事態となっていたが、1909年にバルセロナ港から徴兵された200-300人もの兵士の戦死の知らせが、10日も経たぬうちに届いたことから暴動が起きてしまう。

はじめ反戦を叫んでいた暴徒が、労働者階級と相反する立場の教会・神学校・ブルジョワの家などに放火を始め、中央のマウラ政権が派遣した増強部隊により鎮圧される事態となった。死者78名、全焼112棟(うち教会80)、2000人が訴追され、うち国外追放175人、終身刑5人、死刑判決59人。労働組合は停止させられ、聖職者以外が運営する学校は閉鎖となった。さらに政府は「バルセロナの分離主義者による暴動」と情報を操作し、この動きがイベリア半島全土には広まることはなかった。

この ”悲劇の1週間” は、カタルーニャ弾圧の歴史の始まりであると同時に、独立意識の産声でもあるだろう。

その後の世界大戦でロシア革命を目のあたりにしたスペインでは、無血革命による第二共和政が成立するが、多くの問題を抱えた混乱の中、1936年モロッコにいた将軍フランコのクーデターにより内戦へと突入する。フランコ独裁政権下では、独立意識を削ぐためにカタルーニャ語・バスク語は家以外での使用を禁じられ、モンセラット修道院は閉鎖され、宗教的迫害が続いた3年間で23人の修道者が殉教した。しかしカタルーニャ語でミサを行い続けた唯一の教会でもあった。

このような経緯から、カタルーニャ州はスペインからの独立意識が高く、モントセラットは民主主義の砦として、カタルーニャの宗教的中心地となっている。

カタルーニャ州では2006年には自治憲章が制定されたが、4年後にスペイン憲法裁判所で違憲とされ、大規模な抗議デモが行われた。これ以降独立運動にも拍車がかかり、2017年には州首相のプッチダモンが事実上の独立宣言。しかしこれをスペイン中央政府は認めず、職務代行者を送り阻止した。運動を推進した数名が禁固刑(これも繰り返すデモにより2021年に恩赦)、プッチダモンはベルギー/ドイツへ事実上亡命し、現在も国外からスペイン国政へ影響を及ぼしている。


880年にこの山の洞窟で聖母マリア像が発見されて以来(もっと後のものという説もあるけど)、庵で崇拝の対象となっていた。一方でベネディクト派のモンセラット修道院は、ピレネー山脈のリポイ修道院の指示下におかれていたため、1025年ウリバー修道院長がこのマリア像をもとに新たに宗派を開いた。
そして15世紀はじめにモンセラット修道院はリポイ修道院から独立し、最盛期を迎える。

19世紀にはナポレオン軍による2度の略奪と放火、メンディサバルの没収と悲劇に見舞われ、多くの宝が失われてしまった。再び独立を取り戻した19世紀後半には、残った壁から修道院全体が再建され、このように小石や赤土や砂入り混じった堆積岩が用いられている。

赤みのある建物


門をくぐるとイエスと12人の聖人像に囲まれたサンタ・マリア広場、その左側にゴシック様式の中庭回廊が見える。最盛期にかけて建てられたこの回廊は現在半分しか残っておらず、モンセラットの紋章(二人の天使がのこぎりで山を切る図柄)で飾られている。

ベネディクト会の黒服の修道士さま

黒いマリア様にお礼参り

今回購入した少年合唱団の入場が含まれるチケットでは、黒いマリア様をいつ訪問してもオッケー!(10:30-12:00の昼休みを除く)

必ず長蛇の列になるので、いちばん空いている朝一が最善策。だからこそ早朝出発したんだもん! 
Tommy、急いで~!!

小走りでいちばんに乗り込みながら、一瞬写真STOPした隙に、容赦ない西洋人の団体ツアーに追い抜かれた・・・😓

途中の階段にある神秘的なモザイク画


白い天使たちに囲まれた扉をくぐると、見事な両側のモザイク画が並ぶ階段・・・聖母マリアの処女性と母性にならい、右側が処女の聖人12人、左が母なる聖人12人並んでいるのだそう。

制作はサンティアゴ・パドロス、スペインのモザイク芸術家。しっとりとした色合いがとても美しい。こういうのがゆっくり眺められるなら、ツアー客に追い抜かれて結果オーライ!?😆

階段手前の少年像は実はお賽銭箱


ようやくラストの階段までやってきた。あと少しでマリア様に再会できる!!

チラ見えしているマリア様が神々しい


なんでこんなに人気かって、黒いマリア様はお願い事を ”なんでも” ”いくつでも” 叶えてくれるから😊 地元の人たちは、黒いマリア様を ”ラ・モネレータ(黒んぼちゃん)” と親しみを込めて呼んでいるそう。

そして、あたしがどうしてももう一度来たかったのは、あの時したお願いを本当に叶えてくれたからなの。

モザイクの天使に護られた黒いマリア様


ガラスに納められた黒いマリア様。手に持った ”世界” を表す球体のところだけくり抜かれているの。この球にじかに手を触れてお願いをすると、それを叶えてくれるって言われてる。

長い年月とともに黒くなったというマリア像
トレド大聖堂の白いマリア様をふと想い出す


8年前ここを初めて訪れた時は、将来を誓った恋人との辛い別れから数年、ようやく前を向けるようになったところだった。
その時あたしはマリア様にこう頼んだ。


別れるべき相手だったのならもうそれで構わない。
逢うべき人にめぐり逢わせて下さい。



その後縁あってTommyと出逢い、今がある。

マリア様の部屋から見える聖堂内


黒マリア様への参拝を終えて外に出ると、蝋燭のあたたかい光に満ちたアヴェ・マリアの道

ホッと和む色とりどりの蝋燭


二人揃ってお礼参りできました記念に、蝋燭を買って灯したよ!

赤と緑の手前の2本♡


これで今日の目的の2/3を達成。モンセラット再訪、悔いなし。。。✨


続いて中庭へ。
正面のファサードは1900年頃再建されたものでなんと、サグラダ・ファミリアの初代建築家フランシスコ・ビリャールなんだって!(2代目がガウディ)
へぇ~~~✨

中庭のファサード


教会は12世紀にロマネスク様式からゴシック様式に修復され、さらに破壊と再建と経ていろいろな建築様式が混じっているけれど、このファサードはネオプラテレスコ様式(ゴシックにルネッサンスやイスラムの装飾が加わったプラテレスコ様式のリバイバル)。

パティオ真ん中にある黒いマークの上は、瞑想すると不思議な力が宿るって言われてる人気のパワースポット😉 洗礼で水を受けることと、魚がキリスト教徒を意味することから、この床には海の生物がモザイクで描かれているんだそう。

瞑想中(笑)

せっかくここまで来たし、まだたっぷり時間もあるし・・・風邪っぴきだけどやっぱり
ハイキングコース歩いてみたい!!

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