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  1. SEASIDE

人生の休日⑲最終日はクリムトの壁画で

Fri, 24 Jun 2011
1 ウィーン分離派の象徴セセッシオン
  1.1 クリムトの壁画 ”ベートーヴェン・フリーズ”
2 最後の難関
  2.1 旅のおさらい♡

ヨーロッパ7か国、3週間の旅


永遠に続くかもと思われた怒涛のヨーロッパ周遊、いや放浪。
でもなんてあっけないんでしょう、今日はついに!
その最終日。


ちょっと感慨に浸りながら、優雅な朝のひとときを、カイザリン・エリーザベトで。
どれも美味しくて、最後の一日が気持ちよく始まる~✨


残してあったのは分離派会館、セセッシオン Secession。クリムトで感動したからには、この地下にあるベートーヴェン・フリーズを見ずに終われない!

身軽な荷物だけで、急いで地下鉄最寄駅まで。
セセッシオンまでの地下道はミラーを使ったcoolな空間。さすが、ここが前衛美術家たちのフラッグ・シップだっただけあるよなぁ。


ずーーーっと書いてあるのは円周率。


こちらはイベントまでの光るタイマー。カッコいい~😲✨

ウィーン分離派の象徴セセッシオン


おっと!
すぐに ”金のキャベツ(当時金のドームに付けられた蔑称、現在では愛称)が現れた!

クリムトらしい女性の顔モチーフが並ぶその上に、「時代には芸術を、芸術には自由を」と分離派のモットーが掲げられている。

”時代には芸術を、芸術には自由を”

ウィーン分離派(セセッシオン)
当時の保守的な芸術家団体クンストラーハウスに見切りをつけ、クリムトを会長として前衛的な芸術家が集まり、新たに結成したのがウィーン分離派。そのメンバーのひとりヨーゼフ・マリア・オルブリヒによる設計で、金色の月桂樹の葉をモチーフにしたドームは当時 ”金のキャベツ” と揶揄されたが、今ではウィーンを代表する建造物のひとつとして人々に愛されている。

現在、地階には1902年の分離派展に出品された、ベートーヴェンのの第九をテーマとした幅34mの壁画「ベートーヴェン・フリーズ」(制作は1901年)が収められている。

クリムトの壁画ベートーヴェン・フリーズ

第九(第2楽章16分~ 第3楽章26分~ 第4楽章41分~)


入ったら、迷わずまっすぐ、地階に急ぐ。

各国の言葉でパンフレットが。解釈を知るのと知らないのとでは、鑑賞に大きな差がつくからだね。


入って左の壁、上の方に壁画のはじめの部分「幸福への憧れ」が飾られている。
”フリーズ” は神殿などの柱のいちばん上のところにある、横に渡されたレリーフなどの装飾部分のことだ。

「幸福への憧れ」部分


第1楽章では、勇敢や不屈を象徴する野望に満ちた黄金の騎士に、ごくふつうに生きる弱き人々が自らの代わりに幸福の追求を願い託す姿が描かれている。

「敵対する勢力」部分


正面には第2楽章「敵対する勢力」。

中央には、様々な苦難や悪意を象徴する怪物テュフォン。腿から下が強靭な毒蛇で、爛爛とした両目と炎を吐く口を持ち、有翼で肩からは100の蛇が生える。
隣にその子供のゴルゴーン3姉妹。

幸福を追い求める中でしばしば立ちはだかり道を塞ぐ、肉欲・淫蕩・飽食・病や加齢などを象徴する女たちが、コラージュのように重なり合いテーマが紡がれていく。

さまざまな欲をあらわす女性の偶像は当時、特に ”醜悪” と非難が集まった。

右壁の最後に現れる「歓喜の歌」部分


歓喜の歌」は第九の第3・4楽章。

幸福への強い渇望はさまざまな苦難も飛び越え、純粋な ”愛と調和” で昇華していく。
クリムトらしいシンボリックな性の隠喩が多数描かれてはいるが、それは第九で歌い上げられる ”人間愛” としてのグローバルな側面を併せた表現と解釈すべきだろう。


散文的に見える配置の中に、人生で体験する移ろいや流れがあり、全長34mの壁に沿ってゆっくり歩くだけで、その昂揚を短時間で疑似体験。

これがはじめは、展覧会が終わったら捨てられる運命だった、簡素な壁画だなんて・・・。



途中から高校生の見学と思しき集団が。
入って皆、体育座り。前で説明しているのは、美術の先生かな。

いいなみんな。
若い頃から一流の作品に触れるなんて、どこでもできることじゃないんだ。

最後の難関

ホテルにとんぼ返って重いトランクに持ち替えて、ウィーン・ミッテ駅へ。
ウィーン西駅と同じく、巨大なハブ駅である上に現在絶賛工事中。そういや到着時もわかりづらかったのを忘れてた!

空港行きCATの案内矢印に従い重い荷物を手にエレベータやらエスカーやら上り下りするも、何故かいつまでたってもそれらしき場所にたどり着かない。
CATこちら、の案内が途中で消えちゃうのよ。ホームにいる人に聞いても、普段使わないからどうして矢印の先に出口がないのかわからないって。


どうも・・・
工事中でふさがれてるCATへの道がたくさんあるらしい!!
しかも既存の案内を直さぬまま( ノД`)


どんどん時間が過ぎていく。まったくあてにならない矢印はおいといて、駅の地上出口にいったん出てみた。

そしたら壁や道路にデカデカとCATこちら⇒ の臨時案内文字がー!!
もーほんとWEBチェックインしといてよかった😰

がたがたの道をガロガロとトランク引きずって、ようやくみつけた入口でCATのチケットを残りわずかな現金で買い、ホームに下りると・・・

OMG!!乗りたかったCAT🚅一本逃してるじゃーん!



・・・結局、なんだかんだで1時間ちょっと前にようやく空港着。
大急ぎで荷物預け、なんとかゲートまで辿り着き・・・久しぶりに耳にする、大量の日本語

もし乗れなかったら「駅の案内をそのままにしてるから遅れたんだー」と、泣いてごねようと思ってた。


空はやっぱりキレイだね。心の澱もすっかり取り除かれる気がします。帰りは時差修正のため、時計戻して寝るのに集中✨



最後は帰りたくなくなるかもと思ってたけど、帰国にこんなに安堵するなんて、珍しいかもな。

何故、旅に出るんだろう。あたしにとって、旅とは。
経験、だな。Experience。次の扉を開くための、引き出しを増やすための、新たな感情を知るための。
陳腐だけど、自分探しなのかもしれない。何が居心地よくて、必要なものはなんなのか。

その経験の密度が濃いと、いっぱいいっぱいで溺れそうになってくる。
ちょうど今、溢れそうな時なんだな。

旅のおさらい♡

はじめに入国したのは、掌にのりそうなくらい可愛らしい自然美のスロヴェニアだった。

ポエティックなブレッド湖


そして幾多の試練を乗り越え、比類なき美しさの遺産と独立を守り抜いたクロアチア。

圧倒的な自然美のプリトヴィッツェ
大地震と紛争から再建されたドブロヴニク


船で渡り、豊かな景色と食材に囲まれて、ゆったりと生を謳歌する南イタリアへ。

とんがり帽子のアルベロベッロ
洞窟住居の残るマテーラ


ぎっしりと体内に宝を詰め込んだヴァチカン市国。

宝の山ヴァチカン


寝台列車のあと再訪に見事応えてくれたパリ、印象派を魅了した景色と修道院の島を擁する北フランス。

ノルマンディーの海に浮かぶ ”西洋の驚異”
画家たちに愛された港町オンフルール


忘れられた中世の街、ベルギーはブルージュ。

中世の街並みを闊歩する馬車


文化遺産を凝縮した、小さいけれど豊かなオーストリア。

青いドナウ河畔のメルク



はじめてのことばかりの、忘れ難い国々。神様からもらった、あたしの長ーーーい休日。
この旅へ導いてくれたすべての縁に、心からありがとう。



そうそう、イタリアから飛行機便で送ったおみやげは、だいぶぼろぼろになりながら、2週間半かかってようやく届きました。

プリトヴィッツェとモンサンミシェルからアバウト住所で送った絵葉書も、ちゃんとお友達のもとに届いたそう。

世界って・・・こんな風にちゃんとどこかでつながってるんだね😉✨


この旅の始まり


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