- Tue, 7 Jul 2015 -
1 モデルニスモ建築
2 ミロ美術館
3 3度目のロンドン
カスティーリャのクラシックな雰囲気とは180度ちがう、ロゼロンでの朝食。
スタッフの対応も、眺望も素晴らしくて、またバルセロナに来ることがあったらここに滞在したいな!
ガウディ&モンタネールの建築を目まぐるしく追った怒涛の2日間。エアの日程決めてから観光ポイントを落とし込んで行ったから、詰め込みスケジュールになっちゃったんだよね~。
郊外にあるコロニア・グエルの地下聖堂、ちょっと外れた場所のドラゴン鉄扉を除いてマップにするとこんな感じに。
バルセロナ市内にぎゅぎゅっと見どころが詰まっていて、大体どこも1時間程度で観れちゃう。だからこんなたくさん周れたんだろうな。
モデルニスモ建築
カタルーニャ独自の建造物の特徴は、モデルニスモModelnismeと呼ばれる形式。
このモデルニスモ、アール・ヌーボーとの差が非常に分かりにくいんだけど、それもそのはず、別名カタルーニャ版アール・ヌーボーと呼ばれるんだとか。
スペイン唯一の産業革命で発展を見せたカタルーニャでは、国境の接するフランスからの文化が流入するだけでなく、建築の需要が増え、その中で優秀な建築家が生まれ、彼らがイスラム建築を取り入れながら、モデルニスモ独自の形式を作り上げていった。
そういや、カタルーニャ独立! と騒がれていたのも記憶に新しいね。過去にも政治的反発でカタルーニャ共和国化を宣言し、サグラダの模型が壊れた原因でもあるスペイン内戦に発展している。
それは政府軍に倒されたものの、その後カタルーニャへの抑制がしばらく続いて、いわゆる私たちが思うスペイン語であるカスティーリャ語を強制された時期があり、そんな経緯から、カタルーニャは自治性・独自性へのこだわりがあるらしい。
ちなみに Antoni Gaudi や Joan Miró はカタルーニャ語表記!
ガウディと並び有名なモデルニスモの建築家・モンタネールの代表作は、初日に訪れたサン・パウ病院とカタルーニャ音楽堂。モンタネールは建築学校でのガウディの師であり、のちにライバルにもなる。
ガウディが自然の造形を手本として、建築に革新的な芸術観を吹き込んだのに対し、より華やかで、洗練と調和で極められた装飾美で表されるのがモンタネールの建築。
裕福な生まれだったモンタネール、職人の家に生まれたガウディ。
作品の違いはそんな生育歴の違いも影響しているだろうけど、どちらもカタルーニャに生まれ、その建築を代表する人物となったのね。
何度も通ったサグラダ前の公園は、いろとりどりの花で囲まれて、まるでサンクチュアリ……通るたびに癒されたな。
ミロ美術館
バルセロナ最終日は、ジョアン・ミロ Joan Miró の美術館へ。
地下鉄はPararell駅で、チケットはそのままフニクラに乗り換え。景色を眺めながら揺られて行くのかと思いきや、なんとトンネルを進むだけ。
ケーブルカーは、フニクラを下りてさらにモンジュイックの城に向かう時に乗るみたい!
駅を降りてしばらく道なりに歩くと白い四角い建物が。館内は光がところどころ入り、中庭や屋上につながっていたり、この自然と調和したつくりは、無償でデザインを担当したバルセロナの建築家、ホセ・ルイ・セルトによる。
美術館はミロ自身とその親友プラッツが、現代美術の振興を願い計画したもので、これに挑戦する若者の作品が展示されるコーナーもつくられていたりする。
シュール・レアリストとされながらも、作品は一風変わった個性を放ち、ユーモラスで自由気ままな作風が、バルセロナ最後の一日には心地いい。
“…easel painting is only good for a rest and to obtain poetry, and that’s already quite a lot.”
(イーゼルの絵は休息と詩を得るのにはいいけれど、それはもう山ほどこの世に在るしね)
そんな言葉を残し、彫刻やコラージュ、壁画などいろんな作品を残したミロ。
それだけ伝えたいことが、たくさんあったんだと思うな。
モンジュイックの丘からは、3日間歩き回ったバルセロナ市内を一望。
足も疲れて、トランクとともにバルセロナ空港までタクシーで。どの航空会社?と英語分からないのに聞いてくれて、British Airwaysに一番近い入口に横付けしてくれた運転手さん……グラーシアス(ありがとう)!
美しく機能的な第1ターミナルでユーロをポンドに。なぜか若い見習いスタッフの練習台。
時間かかるけど辛抱辛抱、まるで研修医クンを見守る気分だね。
さようならバルセロナ。
たくさんの感動をありがとう!
こんなにも美しい海岸線を眺めつつ、次の目的地ロンドンへ。
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