- Wed, 8 Jun 2011 -
1 イストラ半島をゆく
1.1 プーラの円形闘技場
1.2 ゆるカフェ全開
1.3 ポレッチのエウフラシス聖堂
1.4 クロビーとザグレブステーキ
2 その後のクロアチア
イストラ半島をゆく
昨日入ったクロアチア Croatia は、旅行好きの友人から口を揃えて「いちばんよかった」と勧められた国。日本にも、クロアチアにも、それぞれの国の人がおよそ100人程度住んでいるんだそうだ。
ちょうどこの日、まだ正式ではないがクロアチアのEU加盟が決定したとのニュースが入った。そしたら通貨のクーナも、そのうちユーロになって観光に便利!と思ったら、EU加盟によって物価の高騰を危惧する国民は、これを歓迎してはいないのだとか。 ※この後2013年にEU加盟
夏の観光が大きな収入源となっているクロアチアでは、冬の間の失業率が高いのが問題なんだって。
クヴァルネル湾に面したリゾート地オパティアを出発し、半島の街に立ち寄ってゆく。
イストラ半島の西岸は肥沃な赤土のあるエリアで、そのためよいオリーブやブドウの栽培に適し、ローマの遺跡も多くみられる。
内陸側は石灰質が強く、土地がやせているのだそうだ。その分鍾乳洞やプリトヴィッツェといった特異な景勝地も生んでいるんだけどね。
プーラの円形闘技場
イストラ半島の最南端はプーラ Pula 。これは1世紀に建てられたアンフィシアター(円形闘技場)。驚異的な保存状態!
石の1ピースが非常に大きくて、背景の真っ青な空とのコントラストも手伝い、おおらかで壮大な造形。観客席はあとから修復された小さいピースの階段になる。
大きな石灰石のピースを積み上げて作られているため、固定に鉄のビスを用いている。このビスが長い年月で酸化・膨張し、最近は石そのものに亀裂が目立ってきているのだそうだ。そりゃそうだ! 2000年も経ってるんだから。
地下は剣闘士や猛獣(ここでは主に熊とか狼)の待機場所で、石の壁の上は木材で天井がつくられ、その上に流血を吸う土が準備された。
こういった血のにおいはかなり鼻につくので、建物の3箇所に花のアロマ水を貯めるところがあり、ここから観客席の各所に噴水としてまいて緩和したそうだ。
ゆるカフェ全開
続いて旧市街を散策。ローマ時代のライムストーンと、後世のハプスブルグ調の柔らかな色彩の部分と、内戦の砲撃で壊れコンクリートで固めたところと、いろいろな要素が混在している建物がたくさんある。
しかし驚いたのは町の中心部。平日のまだ午前中10時ごろだというのに、あらゆるカフェが地元のヒト・ヒト・ヒトで溢れかえっているの!
「クロアチアの人は朝からお店を開いて、このくらいの時間にブレイクして、お昼が2~3時と遅めなんですね~」
と添乗員さん。
あ、なるほどそのあとまだ結構はたらく時間が長いのね・・・と思いきや、
「で、そのあとは仕事おしまいです」
え゛え゛ーーーっ!?
ホント??
それってほとんど働いてなくない? どうしてそれで生活できちゃうの??
たぶん仕事しようにも、需要がないんだろうな・・・。思うに仕事を生きがいのひとつに数えられる国にした日本人って、すごいなと母国に感心してしまった。
しかし暑い。内陸とは違って、アドリア海に出るとすごく暑い。あと1カ月もすればセンター通りも、バカンス&観光客が入り混じりイモ洗い状態となり、気温もあがってさらに暑さ倍増だろうな・・・。
ポレッチのエウフラシス聖堂
つづいてポレッチ Porec へ。ベネチア風のとんがり窓を持つ旧市街を歩く。色のはがれた壁やドア、人の生活を想像させる造形が心地よくひびく。
とにかく暑いので、本来雨対策のつもりだったお花柄のキッドソンの傘を日よけに。
このすばらしいモザイクのエウフラシス聖堂 Eufrazijeva bazilika は世界遺産。ピンクの色大理石はマルマラから運ばれたもので、色鮮やかなモザイクといい、目を飽きさせない。
デフォルメされたモザイクの表情や色合いに、見ていると心がほっと一息つく感じがする。ひとつひとつの意匠に意味が含まれており、山ほど隠れたシンボルの謎解きも面白い。
聖堂にに入るとき「シーッ(静かに!)」と合図してた子供たちが、出てきたらまたやろうと、ずっと待ってたみたい。あたしたちに反応してもらって、とても嬉しそう!
6月に入ると夏休み前で遠足などがメインになって、授業は少ないんだって。それで、お友達とこうして出歩いているらしい。Enjoy!!
クロビーとザグレブステーキ
さすがに暑く、散策もそこそこにトイレを借りに入ったアイスクリーム屋で、おなかはいっぱいだけどなんとなく悪いかなぁとひとつ買った。
そしたらお店のお兄ちゃん、サービスでコーンを2つ、2色のアイスを使って「カモメのクロビー」を作成!!
い、いいのにそんなサービスしなくても・・・と心で泣いて笑顔で受け取るあたし。
このあたりは赤土にブドウやオリーブの木がよく栽培されている。緑の総量は多いけど、なんとなくスペインやイタリアの風景にも通ずるものがある。豊かな、イストラ半島。
しかしプリトヴィッツェへは5時間の大移動、後半はカーブの続く長い山道。昼のでっかいザグレブステーキが美味しくてワインと一緒に完食、さらにカモメのクロビーと食べ続けた上に、下を向いて小さなPCに日記を打ち込んでたあたしは、なるべくしてついにバス酔いしDOWN。
そんなとき、スルンという山間の町を眺める写真ストップが。助かった・・・。
ようやく今日の宿にたどり着いたら、夕飯はこれまたでっかいチキン・・・スープとサラダだけで、ごめんなさいご馳走さま💦
その後のクロアチア |
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同じく1991年独立宣言をしたクロアチアだが、その後はスロヴェニアほどにはスムーズに事が運ばなかった。セルビア人は独立に反対してクロアチア国内に進軍(クロアチア紛争)、その後戦闘は1995年まで続き、ドブロヴニクやヴコヴァルを瓦礫の山にした。 セルビアやボスニア・ヘルツェゴビナとの国境地域には、現在でも撤去されていない地雷が残存しており、観光客への注意が促されている。 しかしアドリア海の真珠と呼ばれる美しい城壁都市ドブロヴニクや、世界遺産プリトヴィッツェ国立公園をはじめとして、クロアチア精力的な人々の努力により復興を果たし、ヨーロッパでも人気のリゾートとなっている。 |