付属博物館…と思いきや
これでフィレンツェ観光の1/3くらい終えた気分。とりあえず、トイレ探そっと! でもむやみにウロウロしてたら、暑さで倒れそうだし……あっ!!
そうだ共通チケットに含まれる、ドゥオモ付属博物館に入って借りてみよう。
と思ったら、踏み込んだのは全然違うMuseoだったらしい……フィレンツェ慈善事業の歴史を展示する博物館、Museo della Misericordia Firenze。
(あとから気付いた💦 付属博物館は大聖堂を挟んではす向かい!)
でもひんやり空調のよく効いた館内で、受付の方もとても親切。日本語のがないの……と、英語の収蔵品一覧をくれた。
団体の設立は1244年。多くのボランティアとサポーターによって、設立以来無料で、病気や貧困に苦しむ人々を助けたり、亡くなった方の埋葬を行っているそう。
火照った体を冷やしながらさっと一巡。
宗教画なんかもあるんだけど、銀食器にギプスに、初めての救急車に積まれていた物品入れ、古い酸素ボンベなどが展示されている。
あと15世紀まで使われた赤ベストと、それ以降の黒ベスト……ってそれしか書いてないけど、これ一体何に使ってたのか気になるよー!
こちらはイエス・キリスト(左)と洗礼者ヨハネ(右)の幼少期と思われる胸像。子供らしい可愛さ皆無の、あまりに悟り切った表情。聡明さは幼い頃から顔に出るのね……。
最後に誰もいないきれいなお手洗いをありがたくお借りして、すっかり気分もリフレッシュ。
大聖堂本体は素直に諦めた。酷暑の中この長蛇の列で、最後尾がどこだか分からない。
けれど天気予報が外れて、晴れたのは嬉しい誤算だったな~。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
次はすぐ近くにある、8角形のサン・ジョヴァンニ洗礼堂 Battistero di San Giovanni に。天井のモザイクに描かれる天使や使徒たち。ルネッサンス期に入ってからの自然で美しい人物像に比べ、デフォルメして平面的に描かれているものは、それ以前の中世の特徴なのね。
あぁ、でもフィレンツェに来るならもっとキリスト教を勉強しておくんだった……もっと奥深い鑑賞ができたはず! 次回来る時にはよく学んだ上で、オペラグラスも持参すべし……。
しかもここで、”天国への門”(東門)を見損ねた! 外から見るって知らなくって、内側から探して分からず諦めたという、付属博物館に続く大失態。
あーんお天気崩れる前提だったから、フィレンツェは予習が不十分過ぎたよ~~~!
メディチ家礼拝堂のミケランジェロ
でもミケランジェロの傑作だけはしっかり見ておきたい!
メディチ家礼拝堂 Cappelle medicee はサン・ロレンツォ大聖堂の一部で、「君主の礼拝堂」とミケランジェロの傑作「新聖具室」から成り、この新聖具室はブルネレスキとドナテッロによる旧聖具室と、対になる形をとっている。
古くからフィレンツェ大聖堂として使われていたサン・ロレンツォ大聖堂は、ドゥオモの前身であるサン・レパラータ聖堂にその役割を譲ったのち、メディチ家の霊廟として代々建設が引き継がれてきた。大聖堂の正面ファサードは未完のままで、これを制作するはずだったミケランジェロは、紆余曲折を経て代わりに新聖具室という傑作を残すことになった。
こんなシンプルで剛健な印象の大聖堂も、未完とはいえ悪くない。
礼拝堂の中に入るとメディチ家の家系図や、一見可愛らしい宝石箱のようなものが。ところがこんな美しい装飾を施された入れ物に入っているのは、なんと人骨! メディチ家の人々の納骨箱らしい。
中央のものは、頭蓋骨の目のあたり。左目の穴から後ろの赤い壁が見えるの、分かる?? ほかにも寛骨や大腿骨らしきものが……どこの骨かつい考えてしまうのは、これも職業病ね。
フィレンツェはトスカーナの州都で、君主の礼拝堂 Cappella dei Principi は、トスカーナ大公であったメディチ家の墓所になっている。様々な半貴石と大理石で贅を尽くして壮麗に飾られ、支配下においていた地域の紋章が、鮮やかな象嵌細工で描かれている。
すでに勢いを失っていたメディチ家が、権威を誇るためになけなしの財を投入しながら作らせたもの。それゆえ、計画が未完となっている部分も多いみたい。
ちょっと分かりづらいけど、ようやく”ミケランジェロ”の矢印発見!
その先には、白と緑の大理石を基調とした新聖具室 Sacrestia Nuova が。本来なら4人分のところを、2人分の霊廟だけ完成に至っており、それぞれが2体の寓意の彫刻像で装飾されている。
こちらウルビーノ公ロレンツォⅡ側は、左の男性が「黄昏」、右の女性が「曙」の寓意。顔や肉体の表情からその内部に起こる心の動きまでもが、生命を持って躍動しながら伝わって来る。
☑カラフルな大理石
多彩な色の大理石が印象的なフィレンツェの建築。緑はプラート産(ここだけで産出される)、ピンクはシエナ産、白はカッラーラ産で、これら近郊からフィレンツェまで運ばれた。巨匠ミケランジェロは、このカッラーラの白い大理石を好んで使用したそう。