North, South, East and West ーあたまの中を旅しよう。

  1. SEASIDE

人生の休日①スロヴェニア入り


旅に出られない日々が続くせいか最近、いちばん長かった休みを懐かしく想い出すんだよね。

ちょうど10年前の、大震災の年だった。
九十九里浜から3kmの職場近くまで津波がやってきて、断水や物流の遮断、手術室にはヒビが入り、ガソリンも手に入らず、しばらく身動きが取れなくなった。

すでに異動とそれに伴う長期休暇が決まっていたあたしは3カ月後、意を決してヨーロッパ行きのフライトに乗り込んだ。


コロナ禍で世界中が混乱に陥り、これから先どれだけ旅ができるか分からないけれど、あの日あの時美しかった国々の記憶は、けして忘れたくないな。

Mon, 6 Jun 2011
1 5年ぶりのヨーロッパ
  1.1 ユーゴスラビアの歴史
2 スロヴェニア入り
  2.1 ヨジェ・プチニク空港に降り立つ
  2.2 ブレッド湖畔で
  2.3 その後のスロヴェニアの歴史

5年ぶりのヨーロッパ


立つ鳥後を濁さず、すべてのしがらみから解放されて、5年ぶりのヨーロッパへ。


飛行機の中で観たのは「アメリア」。ヒラリー・スワンク演じるAmelia Earhartは、女性初の大西洋単独横断をしたアメリカの人物で、40歳で海に消息を絶つまで、数々の記録を打ち立てた。

映画の中で彼女が、広い世界を眼前に至福の表情で穏やかにつぶやく。


No border, just horizon.

たぶん、世の中で冒険家とかフロンティアと呼ばれる類の人々は、この至福を知ってるんだろう。

下っ端ながらあたしもその系譜に生まれついたのは紛れもなく、かもめのジョナサン(小説に出てくる飛ぶことに夢中な風変わりなカモメ)だってきっと同類だと思う。

風を切って飛ぶ喜びをを知ると、空腹も危険もごくふつうの幸せも、目に入らなくなるのかもしれない。

ランドオンリーとオープンジョー
3週間で7か国を巡るこの旅は、オーストリア航空のオープンジョーと夜行列車移動に、2つのランドオンリーツアーを繋いでプランニングしました。
自分であれこれ手配するのはこれが初めて! この経験以降、タイムロスが少なく効率的に動けるツアー参加をベースに、我儘カスタマイズで自由に組み立てていくのがあたしの旅の基本スタイルに(笑)

ランドオンリーは、フライトのみ個人で手配し、日本発着のツアーに現地集合・解散で参加するもの。
オープンジョーは、都市間の移動を飛行機だけでなく、一部他の手段を使い自分で移動する行程のフライトチケット。発着地が往路・復路で異なります。

成田→ウィーン経由→リュブリャナ
  ↓
 【ランドオンリー①】
  スロヴェニア・クロアチア・南イタリア周遊ツアー
  ↓
【寝台列車】ローマパリ
  ↓
 【ランドオンリー②】
  北フランスとパリ周遊ツアー
  ↓
パリウィーン
  スロヴェニアで降りパリから乗る【オープンジョー】
  ↓
経由地ウィーン滞在
  ↓
ウィーン成田 Goal!!


さてさて、最初に立ち寄るクロアチアやスロヴェニアの歴史を、頭に叩き込んでおかなくっちゃ。

ユーゴスラビア紛争・・・どのように混迷の中から独立を勝ち得たのか、どのように瓦礫の街を現在の観光国家へと再興していったのか? 歴史苦手だから、ちょっとまとめてきたんだよね。

ユーゴスラビアの歴史

古くはハプスブルグ家の長い支配下にあったこの地域では、第1次世界大戦終了に伴うオーストリア・ハンガリー帝国の解体に伴い、南スラブ人の建国を掲げるセルビアを中心に、いわゆるセルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人の王国、旧ユーゴスラビアが誕生する。
しかしセルビア色の強い政治にクロアチア人の不満は高まり、第2次世界大戦でドイツ軍の影響下にユーゴスラビアが解体され、クロアチア王国が独立すると、クロアチア人による報復としてのセルビア人虐殺が起こるなど、南スラブの混迷が続いた。

そこにドイツの影響からユーゴスラビアを自力で解放し、再度「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」としてまとめあげたのが、ティトーである。連邦はスロヴェニアクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナセルビアモンテネグロマケドニアの6つの共和国と、セルビア国内の2つの自治州から成る。



ティトー死去後、それぞれの民族が連邦内の矛盾や政治的な難しさに不満を持ち、マケドニアに引き続き、1991年スロヴェニアクロアチアは独立宣言をするが、セルビア主導のユーゴスラビア連邦軍との間にそれぞれ、10日間戦争クロアチア紛争が勃発。
さらに1992年ボスニア・ヘルツェゴビナも独立(~1995年まで紛争)。

これがいわゆる「ユーゴスラビア紛争」であり、各民族が混ざりあって生活する中で起きたこれらの紛争は、最悪の事態に泥沼化していった。

一方で連邦に残っていたセルビアモンテネグロは新ユーゴとして新連邦を誕生させる。
しかしここでもセルビア人に対し不満を抱いていたアルバニア人の自治区コソボで起きたコソボ紛争、小国のためはじめセルビアとの連邦を選んだモンテネグロも徐々に独立機運を高め、2006年ついにセルビアはモンテネグロの独立を承認。
これにてユーゴスラビアの6カ国はすべて独立するに至った。

コソボは2008年にセルビア内で独立を宣言するも、これを認めていないセルビアをはじめとする国々からはまだ承認を得られていない。

スロヴェニア入り

ヨジェ・プチニク空港に降り立つ

今回は安全性で高評価のオーストリア航空で、ウィーンを経由しスロヴェニアはヨジェ・プチニク空港(リュブリャナ空港) Letališče Jožeta Pučnika Ljubljana へと入る。
直行便はなく、近隣の都市をトランジット。ウィーンまで約12時間、夕方にトランジットし1時間弱。オーストリアもスロヴェニアもシェンゲン協定加盟国のため、入国手続きは乗り換えのウィーンで行う。

スロヴェニア Sloveniaは、ユリアン・アルプス(陽のあたるサニー・アルプス)を擁す、四国くらいの大きさの国。空港からは長距離バスを使って、ブレッド湖の現地ホテルで日本からのツアーと合流予定なのだ。

うーんバスの多い首都リュブリャナにわざわざ出るよりも、クラーニ経由で乗り換えるバスに乗ってブレッドに向かう方が・・・とインフォメーションに寄ったのが運のつき。その間にちょーどバスが出ちゃった!!

はぅあ!? 次は1時間後・・・。

途方にくれて、とても一国の玄関口とは思えない鄙び具合の首都・リュブリャナの空港で、蒸し暑い雨の中うだうだと時間をつぶす。でも雨がちょっと上がって、ひととき虹が見えちゃったりもして。なんだか幸先いい予感!


あ゛~でもホントにバス来んのかな。。。

だってもーここの人たち(インフォメーションのお兄ちゃん&バスの運転手さん)の説明の適当具合ってば超不安!
だからってタクシーを使うのもさらに不安・・・ドライバーと二人っきりになるし。

とにかくギリギリまでクラーニ Kranj 行きが現れなくってひやひやしながら、なんとか乗り込み(時間は正確、だって渋滞ないし)、クラーニでブレッド Bled 行きに乗り換え約30分、20時過ぎにブレッド湖畔のクリム・ホテル着!

運転手さんの背後に陣取り進行方向をチェック
スロヴェニア人の英語は子音が強くて聞き取りにくくサバイバル戦
行き先をしっかり伝えホテル最寄りで降ろしてもらった

ブレッド湖畔で

夜なのに夕暮れの山と豊かな緑が見えます
そろそろ日没✨


ツアーグループはさらに1時間後に到着予定で、その後ホテルで顔合わせとの連絡が入り、パーク・ホテル前のカフェが開いてたらラッキー♡ なんて思いながらお散歩へ。
前情報では21時閉店のはずが、行ってみたら22時までだって!


運よく、三日月とセットの夕方のブレッド城を眺めながら、美味しいとウワサのクリーム・ケーキとカプチーノをいただいた。もしかしたらリュブリャナ経由の方が本数多くて早かったかも・・・でも、ケーキも食べられたからいっか!

いよいよ幕を開けた、ヨーロッパ7か国を巡るなが~い休日。
あした、晴れるといいな・・・。

21:30くらいにカフェから見たブレッド城と三日月
見惚れるほどに美しいカップルなのです


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