迸(ほとばし)る言霊 ~7年前~
暑さも真っ盛り、広い御堂の涼しさに安堵する。
疾走する三人の読経が、
まるで絡み合う電気信号のように響き渡る。
まだ無心のままで、
何か具体的に思うわけでもなく、
耳に入ると同時に両眼から沸く水の道一筋、口元までとめどなく連なっていく。
それは圧倒される力。
喉の仏から生まれ出づる、力漲(みなぎ)る言霊。
四万六千日 ~4年前~
ぼろぼろだったあの頃、
浅草寺の特別な功徳日があるのを知った。
永く凍える夜闇をくぐり抜け、
ようやく動き始めた心と体に降り注ぐ読経は、
何かを呼び覚ます針のように、
あたしの脳に強く刺し入った。
それから3年、
必要なテーマが次々とやってきて、
それまでにないスピードで、
自分が音を立てて変化していった。
あの日から起きたことは、
いいことも、悪く見えたことも、
総て来るべくして、
天から齎(もたら)されたものだった。
今振り返り、そう思う。
今日は、二度目の祈祷に訪れた。
多くの機会を与えてくれた古いお札を納めて、
これから毎年、都合のつく限り来ようと思う。
あの日あの時のあたしとは、
今はまったく違うあたし。
こんな風に立ち直り、
また前を向いて歩き始めることができるなんて、
とても思えなかったあの頃。
旅して新しい景色を見つけるように、
ここに来る度にまた、
新しくなった自分に気付くのだろう。
まだまだ、道は半ばだ。
浅草寺にて ~3年前~
暑くなった。
梅雨はいずこへ?と、
思わずにいられないほどの、暑い夏。
開いたばかりのほおずき市の軒先から、
ちりん、ちりんと、
風鈴が涼しげな音を奏でる。
七月十日は四万六千日詣。
出勤前の浅草寺。
年に一度はきちんと、
ここで読経を聴きたくなる。
ことばは力だ。
深く解して発せられたことばには、
まるで形や質量があるかのように、
その場の空気の密度や色までも変えていく。
知らぬ間に涙も零れてく。
人を動かせることばを、
一生のうちどれだけ、送り出せるんだろう?
何十時間、何百時間、
もしかしたらもっともっと長い時間、
考え続けて来たことを、
その一瞬にどれだけ伝えられるんだろう?
だからいい加減にはできないよ。
限られた時間で限られたことばで、
納得するまで何度でも、
向かい合う以外に答えはないんだ。
あの夏から5年。
あたし、羅針盤が示す方へ少し、
近付けたかな。